基礎学力の定着 or 社会を生き抜く力。どちらが大切か?
久しぶりにブログを書いてみる。というのも文章を書くスピードがどんどん遅くなってきたような気がするから…。僕は書きながら(もしくは誰か人に話しながら)自分の頭の中を整理する人なので、書くスピードが落ちたということは頭の回転が遅くなっているということ。確かに最近まとまった文章を書いていないので、ブログを習慣化したいと思っている。今度こそw
さて、今日のお題は「学校教育において基礎学力の定着と社会を生き抜く力、どちらが優先されるべきか?」
「基礎学力の定着」
これに関しては、日本の教育は常に世界トップレベルを走ってきた。OECDが行っているPISAという学力テストでは主に科学や数学など理系科目で常に上位。最近は下がってきたという話もよく聞くがそれでも上位。
僕が受けてきた教育の経験を踏まえても
- 絶対に落ちこぼれを作らない(できる人とできない人の差を極力小さくする)
- 5教科7科目をしっかり底上げして、レーダーチャートで言うなら凸凹が少ない
ここらへんを強く意識して誰をとっても世界的に見たら平均点以上という状態になっているのだと思う。落ちこぼれを作らない、いかにも日本人らしい良い考え方だと思っている。
日本国内では教育はいつまでも変わらない"古い"業界と言われ続けて、評判は良くないが、日本式教育は世界的に見れば評価が高い(高専の仕組みとか学校の日直制度や給食などは他国でも真似されていたりする)
社会を生き抜く力
一方で、最近注目を浴びているのが「社会を生き抜く力」。21世紀スキルと言われることも多い。問題解決能力や自律的に活動する力などが含まれるが、端的に言えば自分の頭で考えて、主体的に動き、前に進む力といったところだろうか…。
VUCAの時代とはよく言ったもので、多様化していき、とんでもないスピードで変化していく時代において身の回りの変化を的確にとらえて、自分の力で変わっていかなければ時代においていかれる。そんな時代の背景の中ではこれもまた重要なスキルだ。
どちらが重要なのか?
結論から先に言うと「どちらも重要」
子供のころに未来が決まってしまうようなセレクションを行わずに、いざというときに軌道修正ができるようにベースをしっかりと作ってあげることは大切だと思うし、これまで日本はそれで世界から評価されてきたわけであって、良いところを無理につぶす必要はないと思う。日本式教育制度の最大のメリットとしてこれからも引き継いでいくべきだと思う。
しかし、現状に目を向けたときに「基礎学力の向上」を担ってきた小中学校に「社会を生き抜く力の養成」まで押し付けるような形になってしまっている。「基礎学力は落とすな、でも今の時代にあった力も必要だ、どっちも学校でしっかり教えろ。」といった具合に。
普通に考えて無茶な話だ。今まで一定時間かけて教えてきた内容を、内容もかける時間も変えずに増やせというだから。もちろん、どちらも同時に教えられるように教授法を工夫するというのは実際にあるのだろうが、教材研究にかけられる時間もない先生たちにそれを強いるのはちょっと無理があるんじゃないか?とどうしても思ってしまう。(基礎学力の定着の責任を放棄して「勉強したいなら、塾にいけ」という人もいるらしい。これはまた別の問題かもしれないが、本当に頭にくる)
でも、教える内容は変えずに効率的に学ぶ仕組みはいくらでもある)その一つがテクノロジーを使った学習だ。動画を使った質の高い教材を生徒の習熟度に合わせて提供する仕組みができつつある、それを活用しない手はない。
基礎学力は早く効率的に習得して、社会の中での応用に時間を割く。実践の中で知識の不足を感じたなら、それが学習のチャンス。実践と学習を並走させながら、できることを拡張して、「社会で生きる力」を培っていく。そんな風にこれからの学校教育は変わっていくのではないか?と思っています。
最後に自分の話をしますが、Quipperという会社に転職しました。スタディサプリを作っている会社です。そこに転職した理由はまさに、これまで書いてきたことのような考えからです。テクノロジーを使って効率的に継続的に学べる仕組みを作る、それが今の僕のミッションです。
また、「社会を生き抜く力を育てる」これもまた面白そうなテーマなわけです。こっちも何かしらの形で関与できたら良いなーと思って、今いろいろと仕込みをしている最中です。もうちょっとしたらこれについても書けるんじゃないかと…。
長々と書きましたが、今日はこんな感じで。